にいがた総おどりアーカイブス
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2001年 「次の世代の子ども達のために祭を創る」
それはたった3人の若者から始まった。全ては、須賀連の踊り「ハレルヤ」を見た感動から始まった。須賀連より「ハレルヤ」を借りて、1年間県内各地で踊り、祭づくりをPR。それが現在の踊る実行委員会「響’連」の始まり。そして、ワゴン車に寝泊りし県内の踊り子団体の発掘と協力を求める活動。開催経費の捻出、使用会場の検討や手続き、企業や商店街に出向いて交渉や調整を行う。新潟商工会議所と地域商店街、若者達がタッグを組み、実行委員会が設立。
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2002年 第1回
1年の準備期間を経て、第1回を開催。全身に衝撃が走る感動、止まらない涙、誰のことも知っている人のように感じる優しい繋がりをくれた経験は、この祭が目指すものをしっかりと教えてくれた。
参加団体52団体、観客動員数13万人。予想を上回る動員数と歓迎に安堵。様々なハプニングはあったが、新聞・テレビなどにも大々的に取り上げられ、奇跡的に開催を終えることができた。 -

2003年 第2回
多くの人と感動を共有したいと願いを込めた、著作権にとらわれない誰でも踊れる楽曲「にいがた総おどり’03」が誕生。年に1度、Jリーグ「アルビレックス新潟」試合前にビックスワンで踊るイベントがスタート。これにより多くの人が踊りはじめるきっかけとなった。演舞会場に東堀通り7番町が加わる。またこの年、レインボーチルドレンプロジェクトもスタート。
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2004年 第3回
現在の「春のにいがた総おどり」にあたる屋内イベントを初開催。合同演舞という価値観が初めて生まれた。この年、7・13水害・新潟県中越地震と歴史に残る天災が中越地域を襲う。踊りを通じた全国の仲間から寄せられた募金は100万円にのぼり中越地区の踊り子に届けられた。これをきっかけに、各地域がひとつになる地域合同連が誕生する。レインボーチルドレンでは、インドより3姉妹が来訪参加、民族舞踊を披露し、こどもたちの国際交流が始まる。
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2005年 第4回
前年の災害の経験から開催テーマは「祈り」。総踊り楽曲「にいがた総おどり’05神楽」を製作。復興への祈りを込めた新潟の神楽舞とした。楽曲で使用するオリジナル扇子は「祈り扇子」と呼ばれ、収益の一部を義援金へ。この年のビックスワンイベントでは、参加者が過去最高の1,800人を超え、スタジアムが踊り子で埋め尽くされた。また「新潟下駄総踊り」が初披露。伴奏となる永島流新潟樽砧の伝統芸能継承活動もはじまる。同年、ロシア・中国(台湾)へ初海外遠征、新潟の踊り文化を広く発信。演舞会場に、新潟フェイズが加わり、他ジャンルに特化したダンスイベントを初めて同時開催。
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2006年 第5回
下駄総踊りで一般参加がスタート、講習会参加者はのべ3,000人を超えた。下駄総踊り行列も始まり、にいがた総おどりが独自の文化を歩み始める。祭の観客動員数は過去最大の36万人へ。また参加団体も増加し、審査日のメイン会場が2会場に増設。この年から、お祭シーズンには県内コンビニで、総おどり弁当も発売。
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2007年 第6回
新潟市が政令指定都市に移行し、市主催記念イベント「春・祝祭」では春の総おどりがメイン企画として合同開催。
下駄総踊りは無形文化財市山流の振付を新たに迎え、新設会場の新潟市役所前での下駄総踊り行列は、踊り子がうねりとなり江戸時代を思わせる幻想的な夜踊りとなった。また「祭りもエコになる」をキャッチコピーに分別リサイクルやゴミ拾い活動を推進、新潟県エコイベントのモデル事業となる。また、NHK衛星放送の長時間生中継番組「おーい、ニッポン」を新潟下駄総踊りで出演し、オーケストラとの共演にも挑戦し、全国放送された。 -

2008年 第7回
新潟下駄総踊りに「花形衆」が登場。先頭を踊る踊り子が、見栄を切り小道具を持ち力強くおどる姿は、新たな強烈な個性となった。そして施設への慰問演舞・交流を数年重ねた経緯から、福祉環境改善活動チャレンジドプロジェクトをスタート。万代シテイ十字路会場では桟敷席が初登場し、大迫力の演舞を正面から見渡せる環境が整い、新しくふるさと村会場も加わった。またこの年は、2度目の台湾海外遠征へ。
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2009年 第8回
初の5日間開催。3年を経て新・総踊り楽曲「にいがた総おどり’09革命」制作。そして子ども達のまつり「レインボーライズフェスティバル」や総おどりの音楽祭「MUSIC&PRAYER」を初開催。また、上越・中越・下越の地域合同連が、それぞれの合同演舞楽曲を披露、合同演舞が過去最多、披露された祭に。また45年ぶりの新潟国体も開かれ、国体イベント会場での演舞も行う。大河ドラマ「天地人」で新潟の誇りとなった小説家・火坂雅志氏が実行委員会参与に就任し、同ドラマ題字の書道家・武田双雲氏が、総踊り題字も手がける。
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2010年 第9回
新潟下駄総踊りが総務大臣賞を受賞し、ロシア(ウラジオストク)、フランス(ナント)、中国(上海万博)、韓国(ソウル)と海外での演舞を立て続けに披露。全国紙「週間江戸」で、新潟下駄総踊りが紹介される。祭当日、下駄総踊りでは、花絵番傘や萬燈、稚児行列と新たな魅力が増え古町を練り歩き、観客を巻き込む輪踊りを見せた。上・中・下越地域合同連による新潟合同演舞「天地人(あまちびと)」を披露。新潟を感動でひとつにという願いを込めた大演舞となった。祭は過去最高の経済効果35億円を記録。
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2011年 第10回
「次の世代の子ども達のために受け継ぐ心」を祭のテーマとして、小さな輪からはじまったこの祭は、たくさんの人々の手で支えられ、開催10年目。東日本を襲った震災、今こそ復興の祈りをこめて、活力と希望を生み出すために、新たな10年史への始まりの祭を開催。この新潟に、1000年先も変わらず、子ども達の笑顔を創り続ける祭としてあるために、これからも皆様と一緒に祭をつくってゆきたい!
















