新潟樽砧

永島流新潟樽砧のいろは

新潟の象徴「樽砧」

明治の頃、文化人・尾崎紅葉氏が新潟に立ち寄った際、新潟町の花柳界・芸妓の樽砧を見て「短夜の夢なら覚めな樽砧」と、新潟の象徴として歌を読んでいます。

この時の唄が切っ掛けとなり新潟独自に発達してきた樽太鼓を「樽砧(たるきぬた)」と称されるようになります。
また、北原白秋は、数少ない新潟訪問の際、心に残った新潟の風物を新潟小唄の中に「トント と叩けよ樽砧・・・」と読み、樽砧への思いを歌に乗せました。

当時、この唄は町田嘉章氏の作曲で新潟に広く浸透してゆきます。
各文化人が新潟の象徴と歌に詠み、伝えてくれた樽砧。
この貴重な新潟の財産を残して行こうと、各地域で様々な活動もされてゆきます。

各新潟の団体は教育機関の中で子供達に樽砧を触れさせる機会を作り、各種の発表会などにも取り入れてゆきます。
花柳界でも、独自に樽砧のリズムを維持し続けます。

しかし、伝え残して行こうとするその活動は時の流れとともに次第に薄れ、現在ではごく一部の方々の努力により維持されているのが現状です。
その様な中、今、新潟に「新潟下駄総踊り」と言う、新たな文化が生まれ、その活動と、新潟の象徴である「樽砧」が出会い、新潟に残る祭の情熱とこの地の力をはらみながら、再び多くの方の目に止まるようになり、発展してゆく事となるのです。

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