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永島流新潟樽砧

永島流新潟樽砧(えいじまりゅうにいがたたるきぬた)とは

樽の響きに誘われ、みな心躍り馳せ参じ、踊り明かした湊の町夜。新潟人の祭心を揺り動かし、火を灯す祈りの心がわざとなり、今に甦る!これぞ、新潟の誇り 永島流新潟樽砧

新潟下駄総踊りのときに叩かれる、勇壮な樽砧。 永島流新潟樽砧の怒涛の響きで踊りはさらに、新潟の熱気をこの地より呼び起こします! 新潟の独自の文化である樽砧、その中でも他に類を見ない勇壮な『永島流新潟樽砧』。この樽砧があってこそ、新潟下駄総踊りはあの真の姿である荘厳な舞へと昇華します。 その永島流新潟樽砧とは・・・
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永島流新潟樽砧のいろは

新潟の象徴その起源と現在樽砧の打ち方永島鼓山プロフィール講習会のお知らせ

  • 衣装

    *新潟の象徴「樽砧」

    明治の頃、文化人・尾崎紅葉氏が新潟に立ち寄った際、新潟町の花柳界・芸妓の樽砧を見て「短夜の夢なら覚めな樽砧」と、新潟の象徴として歌を読んでいます。 この時の唄が切っ掛けとなり新潟独自に発達してきた樽太鼓を「樽砧(たるきぬた)」と称されるようになります。 また、北原白秋は、数少ない新潟訪問の際、心に残った新潟の風物を新潟小唄の中に「トント と叩けよ樽砧・・・」と読み、樽砧への思いを歌に乗せました。 当時、この唄は町田嘉章氏の作曲で新潟に広く浸透してゆきます。 各文化人が新潟の象徴と歌に詠み、伝えてくれた樽砧。 この貴重な新潟の財産を残して行こうと、各地域で様々な活動もされてゆきます。 各新潟の団体は教育機関の中で子供達に樽砧を触れさせる機会を作り、各種の発表会などにも取り入れてゆきます。 花柳界でも、独自に樽砧のリズムを維持し続けます。 しかし、伝え残して行こうとするその活動は時の流れとともに次第に薄れ、現在ではごく一部の方々の努力により維持されているのが現状です。 その様な中、今、新潟に「新潟下駄総踊り」と言う、新たな文化が生まれ、その活動と、新潟の象徴である「樽砧」が出会い、新潟に残る祭の情熱とこの地の力をはらみながら、再び多くの方の目に止まるようになり、発展してゆく事となるのです。

  • 小足駄

    *樽砧の起源

    その昔、漁師町であった新潟では、海岸沿いは漁が生活の糧でした。 漁の最中、嵐に遭遇した船乗り達は海の龍神に助けを求め、祈りながら船底を叩き続けたと言われています。 後にその話しが陸に上がり祭の中に取り入れられ、やがて祭の囃子の中の「樽砧(たるきぬた)」へと代わっていったといわれています。当時、家々で使わなくなった醤油樽・酒樽これを「一空樽(いちあきたる)」を鳴り物としてバチで打つリズムに合わせ、庶民は即興性のある踊りを踊っていたといわれます。 当時、町中では何処からともなく樽砧の音が聞こえると、人々は手には小足駄を持ち、老若男女問わず踊りに馳せ参じ、みな踊り明かした、と言われます。 後にこの樽砧は、全国に類を見ない独特なリズムを持ちながら、「踊り」「祭」と共に発展・維持されてゆきます。

    *樽砧の遍歴

    江戸末期の新潟奉行・川村修就が当時の祭の風景を描かせたとされる「蜑(あま)の手振り」絵巻物ではそのころの祭の賑わいをうかがい知る事ができます。 この絵巻物の中に踊り手の中心として「樽砧」の姿を見ることが出来ます。四日四晩続いたとさせる当時の祭。幾度と無く祭り禁止令が出たほど。 しかし、祭好きな新潟人の中には消える事の無い祭文化が根付き、「盆祭」は各地域の特徴をはらみながら、樽砧のリズムと共に残り続けます。 しかし昭和に入り、しばらくするとそれまで各地域で盛んであった「盆祭」は次第に「民謡」の流れに取って代わり始めます。 録音技術の発達に伴い伴奏が音響機械からのものとなった為、それまで「盆祭」で中央のやぐらの上にあがり、踊り手の導き手であり、祭の煽り手でもあった太鼓や樽砧は、次第に場を無くし、影を潜めます。 庶民の叩き手の憧れであった「やぐらに上がる」樽砧の勇壮な姿は見れなくなります。

    *樽砧の現在〜永島流新潟樽砧〜

    樽砧の打ち方は様々なものがあり、時代と共に各地域の特徴を持ちながら変化してきたようです。 今から約60年ほど前、各地域に残る樽砧を、永島鼓山氏 自ら赴き編纂されます。後に、樽砧の原点である心からの必死の「祈り」を叩くその技の中に込められ、伝えるよう復興された独自の「永島流新潟樽砧」を確立されます。 必死の祈りから始まったとされる樽砧、永島流のそのバチさばきはまさに竜神が昇るが如く、情熱を余す所無く現し、見るもの、踊るものを心沸き立たせるものとなります。それまで、影を潜めていた樽砧文化はこの勇壮な叩き方である「永島流新潟樽砧」として、再び新潟の祭文化の象徴として世間に広く知れ渡り、新潟はもとより全国に発信する事となるのです。

    *新潟下駄総踊りと永島流新潟樽砧

    新潟総踊り祭では、新潟の良き心・伝統と誇りを次の世代へと残そうと新潟下駄総踊りの普及に努めています。 その踊りは、新潟の地の気を起こし、新潟人の心を沸き立たせ、情熱をはらみながら、祈りの心を伝えようという思いを寄せています。 永島流新潟樽砧は、この新潟総踊り祭の下駄総踊りと同じ思いの中、今後も新潟の誇りの為、共に活動を続けてまいります。 このかけがえのない新潟の伝統は、残し伝えてゆくべき価値があり、またそうする事が我々の責任であると深く感じます。 また、新潟の誇れる伝統として永島流新潟樽砧の叩き手の育成と、各イベントでの演奏出演を行ってまいります。

  • 樽砧の打ち方

    *樽砧の打ち方

    樽砧に使われる樽は、その昔各家庭で普及していた醤油樽や、酒樽を主に使用していたようです。現在、新潟総踊り祭りで使用・販売される樽はまだ盆祭が盛んであった頃、新潟で使用されていた当時のままの樽をそのまま仕入れ使用しております。 当時の樽の響きが、今再び新潟の町に蘇るのです。

    【拍子と打ち方】 叩き方は、上蓋の鏡の部分と、脇木の部分を交互に叩く独特なうち方となります。リズムは7拍子。この拍子で打つものは全国でも新潟のみの珍しいリズムとなります。 現在、永島流新潟樽砧は主に「7つの打ち方」で表されます。

    【7つの打ち方】 (一)合わせ打ち、 (二)流し打ち、 (三)正調打ち、 (四)かわず打ち、 (五)八方崩し、 (六)時雨打ち、 (七)勇み打ち

  • 永島流新潟樽砧・宗家
永島鼓山

    * 永島流新潟樽砧・宗家 永島鼓山

    新潟に残る樽太鼓の文化「新潟樽砧」を独特な技法で演奏する「永島流新潟樽砧」を確立。その「7つの打ち方」を伝承・継承し続ける、新潟の樽砧文化の第一人者。

    ● 昭和3年9月新潟生まれ(2011年現在、83歳)
    ● 11歳の時、初めて樽砧と出会う。
    ● 19歳の時より、各地に残る樽砧の打ち方の特徴を編纂し始める。
    これが後の「永島流新潟樽砧」の原型となる。
    ● 昭和28年、民謡界より、全国に新潟の伝統樽砧の演奏を行う。
    ● 昭和43年、新潟樽砧保存会を設立。以降さらに県内での新潟樽砧の普及に努める。
    ● 平成17年、新潟・ハバロフスク(ロシア)40周年記念大会にてロシアで新潟代表として演奏など、新潟県内は元より、海外にも新潟の文化を発信し続ける。
    同年、新潟総踊り祭での下駄総踊りで永島流新潟樽砧が伴奏として競演。以降下駄総踊りでは永島流樽砧と共に演舞される事となる。

    現在、下駄総踊りでの伴奏はもとより、永島流新潟樽砧を新潟県全域・上越・中越・下越にて講習会を展開、普及活動をさらに広める県内で約30名の永島流の叩き手を抱え、さらに約40名ほどの叩き手を育成中。

  • 講習会のお知らせ

    *講習会のお知らせ

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